今日の夜は、おにいが持ってきてくれたトマトを調理することにした。
おにいは、友人の3人のこどものうち、一番上の長男で、今年20歳になった。
おにいは、僕が作るカレーの支持者なので、このトマトは、カレーを作るために持ってきてくれたのだ。
そして、言うまでもないことだが、このトマトは、友人のハウスで栽培されたもので、たぶん、今年最後の収穫になるだろう。
うーん。ありがたい。
トマトは、見た目に痛んだものもあるが、スーパーのカゴのような大きさのカゴに軽く一杯分。
さすがに、これだけあると、すこしばかりプレッシャーを感じる。
これまでの人生の中で、何度となく作ってきているカレーだが、友人のトマトを使ってカレーを作るようになって、一つだけ大きく変わったことがある。それは、トマトの割合をかつてなかったほどに多くしたこと。だから、僕は、このカレーのことを『トマト・カレー』と呼んでいる。
この『トマト・カレー』は、友人のトマトとの出会いがなかったら、僕には思いつかなかっただろう。
このトマトとの出会いのくだりについては、いつか、このブログで書くこともあるだろう。
いずれにせよ、僕にとって、この『トマト・カレー』は、それなりに思い入れのある料理なのだ。
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さて、今年最後の大量のトマト。
おにいの期待に応えるためにも、おいしい『トマト・カレー』を作りたい。
うーん。しかし、この晩秋に収穫したトマトは、夏場のトマトとは違うはずだ。
うーん。どんな風に違うんだろう?
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話は、それる。
このトマトを初めて食べた時、僕は、幼少の頃、祖母が食べさせてくれたトマトのような深い味わいに懐かしいモノを感じた。幼い頃の記憶なのに、それを思い出させたのは、野菜そのもの味がしたからではないか、と考えている。
友人の作るトマトは、鷹峯界隈では有名である。
地元のおばさまたちは、トマトができる季節になると、友人のおかあさんが『振り売り』に出掛けるのを待ちきれず、友人の家の作業場へと繋がる路地にまでやってくるほどである。大八車に並べられたトマトを取っては、自分の前に山積みにして、おかあさんの勘定を順番待ちする。この光景は、僕には、友人の家の回りで見かける風物詩となった。
最近は、フルーツ・トマトのように糖度の高いトマトをお店で買うことができるが、友人の作るトマトは、フルーツ・トマトに負けないくらい糖度が高い。そのうえ、はち切れそうなほどたくさんの果汁を含んでいるので、単純に濃厚という表現では不十分だと思う。
理由はこうだ。果汁が100%と言って売っているジュースならば、10%果汁のジュースに比べて濃厚というのは道理だけれど、果物そのものを比較するときは、濃縮したりしている訳ではないから、トマトの味が濃厚というのは。おかしい、ということになる。うーん。へ理屈の天才だなあ。まあ、僕が思うのは、友人のトマトとスーパーに並ぶトマトとの味の違いはなんだろう?ということ。つまり、片方にはあって、片方にはない成分があるんじゃないか、と思うから、同じものを煮詰めて濃縮させても含まれていない味の違いがあるように思う。
トマトに限らず、多くの野菜は、同じ畑で繰り返し栽培できないそうだ。これは、「連作障害」と言うそうだ。同じ畑で、繰り返して同じ野菜を栽培すると、その野菜に害を与える細菌や虫が大量に発生しやすくなり、野菜の生長に悪影響を与えるためだ。だから、トマトなどは、「連作障害」を避けるために、「水耕栽培」と言って、土を使わずに養分を含む水の中で栽培する方法が研究されている。実際、市場に出回っているトマトの中には、「水耕栽培」で作られているものもあるようだ。
この話を友人に聞いてみると、あまり芳しくない反応が返ってきた。友人の話だと、「水耕栽培」では、単調な味わいのトマトしかできないそうだ。友人が言うには、土に含まれるさまざまな成分が、トマトの味わいを深くするので、「連作障害」を避けながらでも、土の上で栽培した方が良い、とのことである。
ずいぶんと説明が長くなったが、僕が感じた友人のトマトとスーパーに並んでいたトマトとの味の違いは、そこら辺りに原因があるように思う。
・・・
話は、トマトからもそれる。
友人はいくつかの畑を持っている。ある日のこと、市内の料理屋さんに頼まれたホウレンソウを収穫するのに、僕は、友人といくつかの畑を回った。同じ畑に植えられ、畑の端とその反対側の端にあったホウレンソウを収穫しながら、友人は言った。
「こっちのホウレンソウを食べてみて。・・・・次に、こっちのホウレンソウを食べてみて」
同じ畑に育ったにもかかわらず、ホウレンソウの味が違っていた。
次に向かった畑でも、
「このホウレンソウを食べてみて」
畑が違えば、当然味も違った。
更に、別の畑に向かって移動する軽トラの中で、友人が教えてくれた。
「同じ品種なのに、味が違うことをわかってくれた」
うーん。うーん。
味覚ではわかっているのだから、疑いようのない事実なのに、僕の頭は混乱していた。
どれもおいしいホウレンソウだった。でも、確かに味が違った。
そう。僕は、ホウレンソウの味をどれも同じように錯覚していた。
・・・・・
大きな畑で緻密な生産管理をしていれば、この差は生じないのか?
厳密に調整された溶液の中で育てられたトマトだったら、どれも同じ味のトマトになるのか?
・・・・・
友人は言った。
「土地が違えば、土に含まれる成分が変わるから味も変わる。」
なるほど。最初の場所と次の場所では、味が違ったことには納得がいく。ん?でも、最初の場所の2つのホウレンソウの味は違っていた。僕は、この疑問を友人にぶつけた。
「畑の向こう側に沢があったのを覚えてる?」
ふーむ。
友人の畑は、決して大きな畑ではない。もちろん、農家としてやっているので、個人が園芸をするような畑でもない。また、京都という場所柄を考えれば、北海道にあるような広大な畑などあり得ない。友人の畑は、東側に少し離れてはいるが山際があり、西側に小さな沢が流れている。
あ。
そう、それが答えだった。風は山と沢の間を行ったり来たりする。この差が、同じ畑にあったホウレンソウの味を変える原因になったかもしれない。たしかに、夜にあの畑に行くと、沢からあふれてくる冷気をひんやりと感じることがある。うーん。勿論、それ以外の要因も考えられるかもしれない。ちょっとした地形の勾配が、肥料を施しても雨が降って流れることで、ホウレンソウに与える差となったかもしれない。深い、深いぞ。野菜づくり。
・・・・・
トマトの皮むきをしながら、僕は思った。
まあ、少しくらい味が変わっても仕方ないか。
ここに来て同じものを量産することの難しさを痛感する。
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