トマト・カレーができた。早速、食べてみた。
うーん。うーん。うれしい。
おいしいものを食べるとうれしいという気持ちになる。この感覚があるというのは、贅沢なことだと思う。
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夜遅くになったが、おにいにも、トマト・カレーを献上した。
今回の評価はどうなるだろう?
友人の家族は、ほとんどニンニクを食べようとしない。従って、このカレーも友人はまず口にしないと思う。
そういう事情もあって、僕の作るトマト・カレーも、おにいと弟のケンちゃんが食べるくらいじゃないだろうか?
以前、聞いたところでは、友人もニンニクを作っていたそうである。
でも、あまりにもにおうので止めたそうだ。
ニンニクづくりの最中に、なにか事件でもあったのだろうか?
もったいない。
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僕のカレーに欠かせないものは、トマトとタマネギ、ニンニク、ショウガ、ヨーグルト、アンチョビ、カレー粉、黒コショウ、鶏ガラ、ナドナド・・・。肉は、鶏肉をメインに使う。
なかでも、トマトと同じくらいたくさん使うのが、タマネギだ。
タマネギは、友人の家でも作っている。
友人の家で作るタマネギは大きい。その一つが、ソフトボールよりも一回りくらいの大きさになる。
はじめて見た時は、かなり驚いた。タマネギを二つに割ると、大量の水分が溢れ出してくる。これにも驚いた。切った断面を見ると、その肉厚に驚かされた。1cmとは言わないまでも、かなり分厚い。
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友人の家では、春先に植えたタマネギを夏に収穫し、作業小屋の軒先にある棚に5個ずつ束ねて吊るす。
大量のタマネギが作業場いっぱいに置かれたところに風が吹くと、やわらかなタマネギの香りがする。暖かな日差しの中では、どことなく心優しい気持ちにさせてくれる不思議な香りだ。
ニンニクの場合も、収穫すると束ねて軒先に吊るすらしい。こちらの場合は、ニオイがきついから、タマネギのような情景は思い浮かばない。
うーん。ニンニクを作らないのは、作り手の立場になって考えると、わからないでもない。
友人の作った、どの野菜にも感じることだが、そのひとつひとつに思い入れが残る。
たぶん、友人の手伝いをしながら、その野菜の育つさまを眺めているからだろう。
友人の家では、『降り売り』をして野菜を売る。だから、商売用の野菜は、作業小屋でひとつひとつ『おそうじ』する。『おそうじ』とは、『赤葉(あかば)』と呼ばれる余分な葉っぱを取ったり、野菜についた土を取ったり、洗ったり、適当な量に束ねたりする作業のことで、野菜が異なれば、それぞれに異なる。
売り物にしている野菜は、丹念に『おそうじ』をする。
友人から野菜を貰う時は、『おそうじ』の終わっていない状態でもらうことが多い。まあ、友人や友人の家族の手間を増やすくらいならそっちの方が心安い。だから、野菜を貰ったら、まず『おそうじ』から始まる。
こうやって手に入れた野菜をまな板の上に置くと、野菜についた土を見つけることがある。この段階では、土は、赤ん坊のへその緒のように、既にその役割を終えた余分なものだ。それでも、僕の手元にやってくるまでの過程を知っているから、「この野菜は、どの畑からやってきたんだろう?」と記憶をたぐり寄せるきっかけとなる。
「このタマネギは、桂で採ったやつだろうなあ。じゃあ、たくさんの太陽を浴びたやつだな・・・」
とか、いった具合だ。
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だから、料理にもそれとなく熱がこもってくる。
肉厚のタマネギは、できる限り細かく刻む。カレーに使う時は、タマネギの食感がなくなるくらいまで刻む。目が痛くなる。でも、泣きながら刻む。刻む。そして、炒める。炒めたタマネギの色が黒くなるくらいまで、ずっと炒める。簡単に冷めないようにと思って買った鉄鍋は思いから、炒めているだけでも、くたびれる。でも、炒める。
少しだけ楽をする方法がある。
タマネギを炒め始めて、きつね色くらいまでなったら、火を止めて冷ますのだ。30分も経つと、タマネギは、火から下ろした時よりも黒くなっている。酸化がすすんでいるんだろうか?理由はわからないが、この方法をやると、なんとか体裁が整ってくる。
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炒めて黒くなったタマネギは、フードプロセッサーに移して、ドロドロになるまでさらに砕く。
ここで、タマネギがペースト状になったら、タマネギの作業は終わり。
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こどもの頃は、ボーイスカウトをしていたので、カレーと言えば、市販のルーを使って作るものだと思っていた。
タマネギのペーストを作って、満面な笑みを浮かべている僕は、やっぱり幸せなんだろうと思う。
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