2005年11月13日日曜日

白苺(しろいちご)

街中でケーキ屋さんの前を通ると、今でも、苺のショートケーキが輝いて見えますか?

アンケートをとるまでもないだろう。

僕の思い込みだけでいえば、苺のショートケーキは、多くの人にとって禁断の果実のような存在ではないだろうか?なかでも、ショートケーキの頂上に鎮座する大粒の苺は、銀座の百貨店の豪華なショーケースに並ぶ宝石!?とはいかないまでも、垂涎の対象であることは間違いないと思う。

うーん。想像しただけで食べたくなってきた。

イチゴ、苺、いちご・・・。

こどもの頃は、苺といえば、手頃な小皿の上に苺を積み上げて、甘いコンデンスミルクをかけてもらって食べるのが当たり前だった。なんとも言えない苺のほどよい酸味が口の中でミルクと混ざり合って、濃厚な味覚がのど元を通り過ぎていった。

こどもの頃は、これほどの至福の瞬間はほかに思いつかない、と思っていた。

月日が流れ、夜の遅い時間にお肉を食べるとお腹がもたれる・・・なんてことが気になる始めるようになると、苺の甘さよりも、甘ったるさそのものが気になってきて、どうしたものか?と思うようになった。

ふと、人生は空しいと思う。

さて、友人の家でも、苺を作っている。
この苺は、実に危険な存在だ。友人も、この苺のおいしさが自慢のようすだ。去年は、苺の写真を使って名刺を作って欲しい、と頼まれたほどの入れ込み方だ。でも、それもうなづけるほど、この苺がおいしい。

友人の家では、ハウス栽培で苺を作っている。
苺は、苗を植えるとずいぶんと長い間、実をつける。春先に出回る露地栽培の苺は、その土地の風土にあった品種があり、自然の恵みを十分に貰ったおいしい苺となる。

もっとも、これからの季節に苺を作ることは一苦労だ。
朝夕には、ハウスの両側のビニールを上げ下げするなどして温度管理をしたりする。夜には、一定時間、電気を点けてあげたりするなどして日照時間を長くしてやる。ほかにも、実に細かい作業がたくさんある。

・・・・・

初めて、友人が苺を栽培しているハウスに連れて行ってくれた時のこと。友人は、適当に苺を摘んで、その中から一つを僕に渡した。

「食べてみて」

口に放り込んでみると、すぐさま、ドッと押し寄せるものがあった。
自分の唾液だ。

苺が甘い。
コンデンスミルクをかけていた時の苺を思い出してみようとするが、もう思い出せなくなってしまった。
コンデンスミルクをかけた苺の甘さは、結局は、人工的な甘さなのか?完敗だと思った。
単調な甘さじゃないのが、深い味わいを作るのだと思う。

友人は、もう一つの苺を渡してくれた。
先ほどの苺より、熟して真っ赤になっている。緑色のヘタの際まで赤くなっていた。

ほんのわずかな違いだと思った。でも、旨さは決定的だった。最初の苺の方が美味い。

・・・・・

今年は、僕の家の隣にあるハウスで苺を作るらしい。

白い小さな花が咲き、小粒な白い苺の実がなり始めている。

ほどよく大きくなった苺の実が赤くなる前の頃。僕は、この状態の苺を「白苺(しろいちご)」と呼んでいる。
甘さよりも、酸味がやや強いのだが、友人の作る苺の場合、このくらいの方が僕にはちょうどいい。
勿論、赤い苺が嫌いな訳じゃない。でも、食べ過ぎてしまうと、なにかと怖いものがある。

白苺は、たくさん食べれる代物ではないかもしれないが、一粒でも苺のショートケーキの上に乗っかった大粒の赤い苺と遜色のない魅力を持っている。

・・・と、僕は思う。

0 件のコメント: